貴重な労働力 中南米ヒスパニック・パワー、アメリカ

管理人の三分間メモ
経験談を主体に書いています





初めに・・・
ヤマメの釣り方
岩魚の生態
広く分布する鱒
鮎の生態
ダイエット、こんにゃく芋
すっぽん大将、サスマタ
フライフィッシング
管理釣り場
幽霊の話
危険な冬の釣り
小鳥を飼う
野鳥の巣と蛇
淡い初恋の話
喧嘩したことない、の話
30年前のパソコンの話
楽しみな山菜狩り
本格的な愛鳥用鳥小屋
日曜大工で鳥巣箱を作ろう
繁殖用鳥小屋(箱)の作り方




初めて海外旅行
運転免許の話
鷹を飼う
なんでも反対、日米
アメリカが大国になれた訳
アメ車と日本車の棲み分け
SUSHI & SASHIMI
一番安い昼飯、中華
英語の発音-日本語と逆
オバマ大統領
大統領就任式はきつい
ケネディー家のその後
ニューヨーク州と
    ニュージャージー州

鹿肉とBSE
隣の芝は青いか
庭は子供の遊び場にあらず
自家用機を飛ばそう
    フライトシミュレーターの話
ああ、勘違いハムスター
お尋ね者捜査官NYC
時差ボケ未然防止策
アメリカ人の世界観
「FU●K」を連発アメリカ人
国家試験=ドイツの釣り
70兆円どこに消える?


ヒスパニック・パワー
規則、規則のドイツ
4種類ある「タイ人」
世界へ羽ばたけ、若者達よ
常時15種類、
    タイのフルーツ

飛行機の遅れる理由
テキサスのお姉ちゃん
    テレビドラマの女優
Jonas Brothers
    人気のバンドグループ`
タレント 三人組
ダンサー テレビ番組
ロック歌手 Micki Free
ケネディーさん
ギタリスト、Peter Frampton
ラリー・キング



石原都知事、アホな記者
の質問にブチ切れ


 


貴重な労働力ヒスパニック・パワー、
アメリカ
Mucho Gracias

女性がヒステリーを起こすとパニック、でもヒスパニックはそれではありません。
メキシコを含む中南米から南米のスペイン語を話す人種をそう呼ぶ。 日本などの先進国は「一カ国、一言語」が多いから日本人と いえば日本語を話し、フランス人といえばフランス語を話すものとわかるが、中南米となると国は10も20もあるがそのほとんど全部 がスペイン語を話すのでそういう国々の出身者を十派一からげにして「ヒスパニック」と呼ぶ。

アメリカの発展の源は移民の安い労働力であった。
古くはイギリスから新教徒(ピューリタン)が英国内での宗教的対立から新天地を求めて逃れてきたのが移民の始まりで1607年 頃のことであった。今から400年も昔のことである。 一番最初にイギリスからの移民が入植をしたのは今のバージニア州の ジェームスタウンという土地であったと言われている。 しかし、今はその当時の物はなにも残っていないと言われている。 残っていれば貴重な「世界遺産」になっていたかも知れない。 当時は森の木々を切り倒して開墾をし農業から始まったのは言うまでもない。
なぜ、当時の物が残っていないかというと最初に入植した人々は悲しいかな一冬を越すことができず全滅してしまったから だと言われている。

有名なメイフラワー号で新教徒100人ちょっとの人々がイギリスのプリムスからまとまって今のマサチューセッツ州に 着いたのは1620年の暮れのことである。 そこをニュー・プリムスと名づけた。 最初の移民がジェームズタウンに着いてから13年後 のことである。 このときは人数もたくさんいたのでお互いが協力し合って生き延びることができた。
しばらく共同生活をしていたが、何をするにも色々な意見や考えを持つ人がいるもので、意見の合わない少数派がマサチューセッツから 出て現在のロードアイランド州とかコネチカット州に活路を見出した。 そのため現在でもロードアイランドやコネチカットの人間は 他の州(マサチューセッツとかニューヨーク)の人とは考え方が違うことが多い。 典型的な、「陽気なアメリカ人」という例えが通じない 人が多いのも特徴である。 どちらかというと堅物と言っても良い。

さて、時代は下って本格的な移民がどっと押し寄せるようになったのは1800年代の半ば、アイルランドの「ジャガイモ飢饉」が引き金と なりどっと移民が押し寄せるようになった。 このジャガイモ飢饉の10年間の間に百数十万人が餓死ないしは疫病で死んだと 言われている。アイルランドで食えないと悟った人々がどっとアメリカに移住して来るようになった。農民が多かったので彼ら移民は 労働者として建設現場等の労働に従事した。移民が多くなるととりあえず労働力が増える。 労働力が増えると賃金が下がる。 しかし、 どんな仕事でもやらなければ食っていけない。それらの安い労働力でニューヨークはどんどん発展していった。
その後ドイツ人やイタリア人が1900年代初頭から移民として大西洋を渡ってきた。 あのタイタニック号にもそのような人々がたくさん 乗っていた。

更に時代は下って1900年代後半になると中南米からいわゆるヒスパニックがどっと押し寄せて来るようになった。 カルフォルニア 州やテキサス州等にメキシコ人が多いのは国境を接しているからで合法、不法を問わずたくさんのメキシコ人がいるが、東部には カリブ海諸国、とりわけプエルトリコ(これは自治領)からのヒスパニックが多く移民してきた(60年代以降)が、80年代以降になると プエルトリコ以外のカリブ海諸国や南米からも移民がどっと入ってくるようになった。
今や空港でも英語とスペイン語は案内版には必ずと言って良いほど併記されている。町にはヒスパニックが溢れている。 安い労働力はほとんどがヒスパニックに取って代わられている。特に3K「汚い、きつい、危険」な仕事はヒスパニックの労働力が 重要な資源となっている。 特定の町の一角には毎朝「日当稼ぎ」の仕事を求めてヒスパニックが20人、30人と固まって 仕事を待っている。 人足が必要な雇用主が車で来て作業員として一人、二人と連れて行く。 また、彼らは数も多いが固まって住んでいるので目立つ。

移民の第一世代は昔も今も厳しい労働条件に目をつむりひたすら頑張るのがアメリカが100年も200年も 繰り返ししてきていることである。 この安い労働力があるからこそ発展もできる。
イギリス病にならないのも土地が有り余っているので幾らでも移民を受け入れる器があるためであるが、バランスよく全国に散らばって くれれば良いが手っ取り早い仕事は都市部でないと需要がないのでその移民達が都市部に集中する傾向は昔からある。
その最たるものがニューヨーク市である。 実に色とりどりである。タクシーに乗ったら運転手が頭にターバンを巻いていることも最近は 珍しくなくなった。まるでインドかパキスタンにいるような錯覚も覚える人が多いでしょう。
都市部にはこのように種々雑多な人が住んでいるが都市部から離れれば離れるほど有色人種は減り、 次第に黒人もいなくなり、白人だけの町となる。

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